2023年4月19日 上田洋平先生
八日市駅界隈の考現学的探索

趣旨--地方都市の移り変わりや地方鉄道とのかかわりを学び、地域の歴史文化を生かしたまちづくりについて、現場に立って考える。

午前中は近江鉄道のおいたちとなりゆきを語って頂きました。

講師;近江鉄道構造改革推進部 部長 山田和昭さん


鉄道の特色(機能面)

― 大量輸送が可能(1両当りー140人~420人)
― 高速で移動出来る(駅以外は止まらないー中距離以上の通勤、通学に向いている)
― 定時に対応(遅れない、確実に移動できる)
― 単純(だけど難しい)
― ドア1か所でも故障しても全線に影響)⇒安全第一、ミスは許されない

鉄道の特色(生活面)

ー 住む場所(職場、学校から離れた地域にも住める
ー 移動時間を有効に使える
ー 定時(遅れない、確実に移動できる)
ー 単純(だから、わかりやすい)


しかしながら、近江鉄道は、1994年度から赤字で、年々増えてきている

インフラ(レール、架線、枕木、トンネル、鉄橋、線路、信号、踏切)の維持費用が膨大。
―― 毎晩、どこかで工事や設備更新を行っている。

輸送状況;ピーク時と比べ半減以下
1967年度;1,126万人 ⇒ 2019年度;475
2016年度に「民間企業として経営を維持するのは困難」として、地域における公共交通のあり方の検討を、県と沿線55町に要望した。
20221016日に沿線各地で行われる「ありがとうフェスタ」にあわせて全線無料を実施 ⇒ 当日利用者数38,000人(通常の12倍)でした。
⇒⇒⇒近畿で初めての試みらしい


バスに代替する案も検討されたが、廃止にすると1955億円の費用が毎年必要
⇒鉄道の存続が必要
鉄道があることで、経済、流通が廻り、
地域の公共性に重要。

最終的には、2024年度からの上下分離方式への移行が決まった。
これは自治体が鉄道施設を保有、管理し、民間は運行に専念すること。
こうして、近江鉄道の全線維持存続が決定した。

2023年この春に八日市駅前南隣の私有地に14階建て高層ビルが完成。
その南にはホテルルートインがもう既に建っている。

50年前にはとても想像もつかなかったことです。
永く八日市駅前を訪れた事の無い方は、一度ぜひ見に行ってください。

午後は八日市駅前をフィールドワーク 
ちょっとその前に・・・・

 八日市まちづくり協議会 白木一男氏より、
「八日市ふるさと絵屏風」と八日市の成り立ちを説明頂いた。


八日市はもともと原野で、小脇が先にあり、清水町は小脇の辻であった。
聖徳太子の言い伝えも結構あります。
戦国時代、八日市今堀は柴田勝家が統括していて、本能寺の変までは、信長の直轄地でした。
金屋の南側は、伊達家支配。
八日市を通っている御代参街道は江戸時代、春日局が代参の折(伊勢まで)伏見奉行であった小堀遠州が道普請をさせた。
芝原町に奉行所があった。
また、17世紀後半八日市は火事で丸焼けになり、明治4年にも大火事があった。
ぞろぞろ歴史上の人物が出てきます。近江の歴史は面白い。
この絵屛風は八日市まちづくり協議会と八日市高校、聖徳中学校美術部の生徒さんで協力して作られた、昭和20年~40年頃の八日市駅前界隈を、描いたものです。私、実は八日市には小学校の低学年に一日バス遠足で来た事があり、延命寺山のお猿さんを見た様な思い出が有ります。
今は、田畑を荒らす奴らですが。
また、子供の頃(50年以上前)家族に駅前で行われた、「木下大サーカス」に連れてきてもらい、男の人がオートバイで鉄の丸い大きな籠の中をぐるぐる廻っている場面のみ覚えています。

ここは、八日市一番の賑わいを見せた「本町通り」の入り口です。
高校時代には、土曜日の授業が午前中に終わると、わざわざ遠回りをして、本町通りで転輪焼きを食べて、家まで何とか持ちこたえました。
全国どこもかしこも、シャッター通りです。ご多分に漏れず、八日市の本町通りや、旧の県道に当たる金屋通りもシャッターの閉まった商店が多いです。
EXPO70が行われた昭和40年代は、週末は結構人の流れがありました。寂しいです。



最近、少しずつ新しい若い方の店が増えた気がします。
上の看板は、デニムの生地をあしらったもので、デニムメーカーがある八日市をデニムの聖地として盛り上げようと近江鉄道と地元商店街が様々な取り組みを始めています。
このデニムのお店は全国にファンがいるそうです。



元歯医者さんの診療所件住宅だったと思います。
かの有名な近江兄弟社を造ったヴォ―リスの設計という事で、勉強会に参加された学友に説明をして頂きました。


スーパー銭湯はあちこちに出来ましたが、ここは昔からやっておられる銭湯です。
まだ、スーパー銭湯があまりない時、山帰りの外国の方に聞かれて、この銭湯を教えてあげたことがありました。


旧の八風街道と御代参街道の辻にある標柱です。「右 多賀  愛知川 彦根」でしょうか。
左の標柱は「左 いせ  ひの 水口 道」でしょうか。

最後に、平和堂の壁面にある「八日市ふるさと絵図」の前で、記念写真をパチリ。

ノスタルジアを感じた一日でした。